2010年9月15日水曜日

第5水準の指導者(経営者)

「第5水準の指導者は、成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える」 - "Visionary Company 2 - Good to Great - " (2001)

自分が今指導的立場であるかどうかは問わず、キャリア形成をする上では、遅かれ早かれ、大なり小なりマネジメントのポジションを経験することになる。

その時に、最上級のマネジメント、すなわち優れた会社が偉大に(Good to Great)なり、しかもそれを継続可能にするためのマネジメントとは「徹底して謙虚で、控えめで、飾らない」ことであるといわれたら、声の大きさやカリスマ性を重んじる昨今の経営者像にとってはちょっとしたアンチテーゼだ。

「自分に与えられた成功を常に幸運と思い、なぜ幸運であったのかを考える。」「野心を自分(の成功)に対して向けるのではなく会社に向ける。」

会社、が大きすぎればチーム、でもいいだろう。「幸運にも」自分が率いたチームが成功裏に何かを成し遂げたときに、それを心から「幸運だった」と思えるかどうか、そしてなぜそう思えるかがきちんと理解できているかどうか、、、そんなことを考えることができる機会があれば、それこそ得難い「幸運な」経験になるだろう。


2010年8月29日日曜日

組織はオーガナイズされてなければいけないのか?

組織構造は目的達成のための手段である … (略) … 組織の健康を判定する基準は、構造の美しさでも明快さでも完全さでもなく、成果である。 - (Management Essential - 2001)

健康でない組織は、階層がいびつだとか、指揮系統が不明朗だとか、機動性に乏しいだとか、いろいろ言われる。組織を構成する人の数が多くなればなるほど、その度合いは大きくなるとも言われている。だから、アメーバ経営なるものものが出てきて、それに風穴を開けようとする。
ドラッガーから見ると、前者がシステム型だったりあるいは連邦分権型だったりする一方で、後者はチーム型ということになるのだろう。

いろんな現場や会社でいろんな単位の人々の集まりをみてきたけれど、それはチームと呼ばれていても決してチーム型ではなかったり、あるいは会社の大きな組織内の集まりでも決してシステム型ではなかったりしていた、と"Management"を読み返してみて思う。

組織とかチーム、ってなんだろう、という今さらながらの思い。それらの組成に多大な労力を割いても、それが最適な解なのかはその時点ではわからない。まさに「成果」のみがそれを決める。誤解を恐れずに言えば、決してオーガナイズなんてされていなくてもいい。傍から見て烏合の衆のように見えても、成果が出るときには出る、それは取り組む対象にもよるのではあろうが。

サッカー日本代表の今回の成功要因は、「意識の統一」だったと言われている。それは組織としてオーガナイズされたが故だったのか?それともただプロフェッショナルが同じ成果をただ追求することでおのずから一体化されただけのことだったのか?あまりの短期間の変容ぶりからは、それが「オーガニゼーション」の構築に腐心した末の結果だとは、受け取りにくい。さて、岡田監督は、ドラッガー、(それとももしドラ?)読んでいたのだろうか…

2010年8月22日日曜日

真摯さなくして組織なし、では、何なくして真摯さもなし?

"知識もさしてなく、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネジャーとして無害なことがある。しかし、いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとって最も重要な資源である人間を破壊する" - Management (Essential 2001)

良いことかどうかは別として、少なくとも自分は無害なマネジャー足りえるかもしれない、と思える一方、有害なマネジャーにならないために持つべき真摯さとは一体何か?については、ドラッガー自身も述べている通り、難しい設問である。本書では「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如」を5つ定義している。そのことには深く同意する。しかし、そもそも人が人に対して真摯たろうとするとき、それは相手との信頼関係の度合いや、相手の有する真摯さの定義、に相当依存してしまうようにも思える。
あることを受けたときに、そのことを人が理解できるか、理不尽と思うか、その境界線は常にひどく曖昧で、繊細なものだ。知らないうちに人を傷つける、また人に傷つけられる…ひょっとするとすぐれたマネジャーという人はそうした人と人とのコミュニケーションの深層をよく見、聞きそして自ら会得して糧としている人なんだと思う。真摯さを得るためには、へこむこともへこませることも含めて、豊富なコミュニケーションの裏付けが必要かもしれない。

2010年8月15日日曜日

PPP: Public Private Partnership

(PPPは)それぞれの地域の必要性に応じてもっとも適切なスキームが構築されたもので、その取り組みが積み重なっていくことで全国レベルの制度改善につながっていき、我が国を新しい方向に導いていく…(中略)…それがPPPの究極の成果として実現されていくことを望んでやまない - ”PPPの知識 2009年

国有・公有企業民営化、第三セクター、NPO連携…さまざまな官民連携スキームが表れるなかでの新機軸になるのか、本には、地方から全国へ、と書いてあるが、一方で、今の日本は大きな政府を目指すのか小さな政府を目指すのか、その舵の切り方を曖昧にしたまま、中央・そして地方ともにその負債を積み重ねているという現実が横たわる。

医療保険制度の導入で小さな政府からの脱却を図ろうとしたオバマ政権にNoを真っ向から突き付けるU.S.とは、日本政府、そして国民の志向は逆に思え、それを最適化するにはむしろ大きな政府を志向しているように見える(小泉政権時代の施策に対して、功より罪を求める世論が強いのもその一例やに思える)

その中で本当に地方発で全国レベルの最適化が図られるのか?

官民連携はトップダウンであるべきか、それともボトムアップであるべきか、それをまず定めないと、PPPというこの新手のスキームも、国債発行額が税収を上回るという危殆に瀕した日本の公共政策の変革にインパクトを与えることは難しいかもしれない。

2010年7月16日金曜日

システムシンキング(5)

「システムにおける問題を発見するガイドラインは5つある」 - Systems Thinking Basic (2001年)


  1. 問題は繰り返し発生するものである

  2. その問題は発生してから非常に長い時間が経過しているものである

  3. これまでに実施した解決策が全く効果がなかったか、あるいは途中で中止されたものである

  4. 問題の時系列的な動きのパターンについての、明確な理由を特定できていないものである

  5. 問題の時系列動きが、あるいくつかの特定のパターンに類似して行われているものである

問題をどう位置づけるか、そもそもそれは取るに足らない、とかそれは深刻な、というとらえ方はかなりの部分で主観的である。上に掲げられたものが確実に正しいといえるわけでもなく、また掲げられている定義そのものもかなり広義に解釈できるといえばそれまでだが、しかしそれでも、問題、を問題とみなしそれを発見するには、それなりの尺度は必要であって、このレベルは確かに「程よい」と言えるだろう。

とくに4番目と5番目、これは興味深い。時系列的な動きとは… これはまた次回に。

システムシンキング(4)

「システムの構造を明らかにするには、①問題を定義する、②重要な変数を特定する、③時系列で変数の動きをグラフ化することが必要である」- System Thinking Basic (2001年)

そもそも「システム思考」を始める前に、システムとは何か、を規定する必要があった。
それは、「お互いに関係し合う、複数の構成要素の集まりである」。

つまり、システムとは、複雑なものであり、その構造を明らかにするには、手順を追った分析を必要とする、ということで、だから冒頭に述べたような3つのプロセスが必要になるということだ。

システムとは複雑なものだ、というのは至極当たり前のように聞こえるが、それをどう解析すればいいのか、はそう簡単ではない。ITの世界におけるシステムの解析もまた然り。そもそも①問題の定義の時点から本質とずれてしまうことが多々ある。この「問題」をどう発見すればいいのか、それは問題とはどんなものか、を理解するところから始まるが、システムシンキングでは…

本日はここまで。

2010年7月6日火曜日

システムシンキング(3)

「システム思考は、①全体像をとらえる、②長期と短期のバランスをとる、③動き・複雑性・相互依存性というシステムの3つの性格を理解する、④測定可能なデータと不可能なデータ双方を考慮に入れる、⑤自分自身がそのシステムの一部であり、システムと自分は相互に影響を受け、与え合っていることを理解する、という原則から成り立っている」 - System Thinking Basic (2001年)

さらっと読むと、どれも、当たり前のこと、のように思える。
が、これを常に意識して日頃の仕事、生活の中で思考ができているかというと、そうではない。
これをすべて意識して行動しようと思ったらおそらく考える時間が行動する時間の数倍にも及んでしまうだろう。

鍵は、自分がいるシステムのポジションとその関係性をまず把握すること、に思える。あとは、ダーっと走り出さずに、立ち止まって大きな視野で対象を見つめてみること。

そう考えてみると、本格的に思考を始める前に、まずはメンタル的なものを改善する必要もありそうだ。

システムシンキング(2)

「システム思考は解題解決のための分析ツールを提供するだけでなく、物事の全体像をとらえるための思考の仕組みを提供してくれる。あるいは人の生き方を変えることになるかもしれない」 - System Thinking Basic(2001年)

線型的に因果関係を導くのではなく、まわりまわって元に戻ってくる循環的な関係、相互依存的関係を導くのがシステム思考、ということらしい。線型的な因果関係…これは演繹・帰納などの違いはあれど、論理思考におけるロジックツリーを指しているように見える。

線型思考+循環思考=「木を見て森も見る」ということだろうか。大きく思考の回路が違う両方を理解し、使いこなせると、確かに生き方までも変えるかもしれない。

2010年7月4日日曜日

システムシンキング(1)

「論理的思考とシステム思考をあわせて行うことで『木を見て森も見る』ことを実現すると考えて欲しい。(中略)論理的思考は体系だった論理的な手法に基づき、「考え方」を整理し・構成し・分析していくことであり、システム思考は「物事」を整理し全体像として捉えて、さらに物事の構造や動きを把握し、その理解をグループで共有することである」 - System Thinking Basic(2001年)

論理思考とシステム思考は違う、ということからまず論理的に理解できないと、おそらくシステム思考を正しく理解することはできないようだ。難解。地道に身に付けていくことにしよう。

2010年7月3日土曜日

ステークホルダ分析

「ステークホルダ分析は、何が最も頻繁に議論を要するプロセスになるかについて、、ある程度明らかにしたり、制御したりするために役立つ」 - "THE ADVENTURES OF AN IT LEADER"(2009)

なにか一つのプロジェクトを始めるとき、一番重視することは何か?と問われると、個人的には、「キーパーソンをどう巻き込むか?」と考えている。参画する自分の立場によって対象者は異なっても、その人と良好なコミュニケーションを保たなければ、たとえ自分に周囲を圧倒する知力、体力があってもミッションの成功は覚束ない。一度その対象者を見つけてしまえばそれは地道な努力でなんとかなるものだが、難しいのは、「それが誰なのかを特定すること」。

そのキーパーソンたる人たちは、プロジェクトのどまん中にいるとも限らないし、最初からいる(把握できる)とも限らない。

どこにどんなステークホルダが居て、その人が、味方なのか、抵抗者なのかを見極めることは非常に重要で、それがもし一番最初に出来たなら、物事を自分が思っている方向にスムーズに進めていくための大きな源泉になる…が、いままでそれをプロジェクトという仕事場の中でクリアに出来た試しがない。

また、そんなことを考えければいけない季節がやってきた。今度はうまくやれるだろうか?