2010年8月29日日曜日

組織はオーガナイズされてなければいけないのか?

組織構造は目的達成のための手段である … (略) … 組織の健康を判定する基準は、構造の美しさでも明快さでも完全さでもなく、成果である。 - (Management Essential - 2001)

健康でない組織は、階層がいびつだとか、指揮系統が不明朗だとか、機動性に乏しいだとか、いろいろ言われる。組織を構成する人の数が多くなればなるほど、その度合いは大きくなるとも言われている。だから、アメーバ経営なるものものが出てきて、それに風穴を開けようとする。
ドラッガーから見ると、前者がシステム型だったりあるいは連邦分権型だったりする一方で、後者はチーム型ということになるのだろう。

いろんな現場や会社でいろんな単位の人々の集まりをみてきたけれど、それはチームと呼ばれていても決してチーム型ではなかったり、あるいは会社の大きな組織内の集まりでも決してシステム型ではなかったりしていた、と"Management"を読み返してみて思う。

組織とかチーム、ってなんだろう、という今さらながらの思い。それらの組成に多大な労力を割いても、それが最適な解なのかはその時点ではわからない。まさに「成果」のみがそれを決める。誤解を恐れずに言えば、決してオーガナイズなんてされていなくてもいい。傍から見て烏合の衆のように見えても、成果が出るときには出る、それは取り組む対象にもよるのではあろうが。

サッカー日本代表の今回の成功要因は、「意識の統一」だったと言われている。それは組織としてオーガナイズされたが故だったのか?それともただプロフェッショナルが同じ成果をただ追求することでおのずから一体化されただけのことだったのか?あまりの短期間の変容ぶりからは、それが「オーガニゼーション」の構築に腐心した末の結果だとは、受け取りにくい。さて、岡田監督は、ドラッガー、(それとももしドラ?)読んでいたのだろうか…

2010年8月22日日曜日

真摯さなくして組織なし、では、何なくして真摯さもなし?

"知識もさしてなく、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネジャーとして無害なことがある。しかし、いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとって最も重要な資源である人間を破壊する" - Management (Essential 2001)

良いことかどうかは別として、少なくとも自分は無害なマネジャー足りえるかもしれない、と思える一方、有害なマネジャーにならないために持つべき真摯さとは一体何か?については、ドラッガー自身も述べている通り、難しい設問である。本書では「マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如」を5つ定義している。そのことには深く同意する。しかし、そもそも人が人に対して真摯たろうとするとき、それは相手との信頼関係の度合いや、相手の有する真摯さの定義、に相当依存してしまうようにも思える。
あることを受けたときに、そのことを人が理解できるか、理不尽と思うか、その境界線は常にひどく曖昧で、繊細なものだ。知らないうちに人を傷つける、また人に傷つけられる…ひょっとするとすぐれたマネジャーという人はそうした人と人とのコミュニケーションの深層をよく見、聞きそして自ら会得して糧としている人なんだと思う。真摯さを得るためには、へこむこともへこませることも含めて、豊富なコミュニケーションの裏付けが必要かもしれない。

2010年8月15日日曜日

PPP: Public Private Partnership

(PPPは)それぞれの地域の必要性に応じてもっとも適切なスキームが構築されたもので、その取り組みが積み重なっていくことで全国レベルの制度改善につながっていき、我が国を新しい方向に導いていく…(中略)…それがPPPの究極の成果として実現されていくことを望んでやまない - ”PPPの知識 2009年

国有・公有企業民営化、第三セクター、NPO連携…さまざまな官民連携スキームが表れるなかでの新機軸になるのか、本には、地方から全国へ、と書いてあるが、一方で、今の日本は大きな政府を目指すのか小さな政府を目指すのか、その舵の切り方を曖昧にしたまま、中央・そして地方ともにその負債を積み重ねているという現実が横たわる。

医療保険制度の導入で小さな政府からの脱却を図ろうとしたオバマ政権にNoを真っ向から突き付けるU.S.とは、日本政府、そして国民の志向は逆に思え、それを最適化するにはむしろ大きな政府を志向しているように見える(小泉政権時代の施策に対して、功より罪を求める世論が強いのもその一例やに思える)

その中で本当に地方発で全国レベルの最適化が図られるのか?

官民連携はトップダウンであるべきか、それともボトムアップであるべきか、それをまず定めないと、PPPというこの新手のスキームも、国債発行額が税収を上回るという危殆に瀕した日本の公共政策の変革にインパクトを与えることは難しいかもしれない。